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12月7日18時15分、ひいおじいちゃんが旅立った。
明治44年生まれ、満92歳。
満州事変などの戦争にも出兵した。
戦争中に、日本の家族宛てに書いた手紙をいっぱい見せてもらったこともある。
ハガキで、厚さで7〜8センチはあった。
その中には、「戦争中に歌を歌っていたら怒られた」なども書いてあり、笑ったなぁ。
ものすごく体格もでかくて、いつも元気なおじいちゃんでした。
小さい頃、よく遊んでもらいました。
100歳までは間違いなく元気そうな勢いでした。
でも、何年か前に風邪をこじらせて入院して、それから寝たきりの生活になった。
たまに会いに行くと、寝たきりにもかかわらずいつも元気でした。
しかし、12月6日あたりから、なんか様子がおかしくなり、みんなが駆けつけた。
そして、12月7日に、みんなに見守られながら、長い旅に出ました。
木の箱の中に、名前を呼んだら、またすぐにでも起きて返事をしてくれそうなおじいちゃんが寝ていた。
さいごのお別れで、顔の横に花をそえたり、大好きなバナナも箱の中にいっしょに入れた。
火葬場に車で移動して、さいごにみんなで顔をみて、火葬室に入った。
1時間半くらいで、キレイな骨になってでてきた。
ひとつひとつの骨が大きかった。
はしで、一人一人が骨壷に納めていった。
さいごに代表者がノドボトケを納め、頭の骨で上を覆った。
大きな体格だったので、骨壷に全部は納まりきらなかった。
そして、骨壷を自宅に持って帰り、告別式を行った。
親戚一同や、近所の人など大勢の人が集まった。
知らない顔や、久しぶりに会う人もいた。
昨日は雨だったのに、今日はとても天気が良く、さいごまでいいおじいちゃんでした。
告別式は、小学校のときに仲の良かった親友を火事で亡くしたときとで、2回目だけど、やっぱりちょっと前まで元気に会話していた人が、もう明日からは二度と話せなくなると考えると、やっぱり悲しい。
ひいおじいちゃんの横でいつも介護をしていたひいおばあちゃんは、まだまだ元気だけど、今日はとても寂しそうでした。
僕のじいちゃんが亡くなったときは、僕もぜんそくで同じ病院に入院してて、普段は朝まで起きなかった僕が、その日だけは明け方の4時半ごろふと目が覚めました。あとで聞いたところ、じいちゃんが死んだのはまさにその時間だったらしいのです。今思うと最期にじいちゃんが僕にもう1回会いたいと呼んだのじゃないかと胸が痛みます。大きい病院だったけど、10分も歩けばじいちゃんの病室に行けたのに〜と。
Kemのおじいちゃんが無くなる少しまえ、もう意識もないのにヒゲをそってたら気持ちよさそうにアゴをあげた。<br>印象的だったなぁ〜。満州事変のとき本部長の秘書をやってて終戦後極秘資料を持ち帰ってきたらしい。小冊子にまとめてたらしいから今度読んでみようかな。
…なるほど、だから実家に帰られてたんですね。<br>ご冥福をお祈りいたします。